One Shot Stories

新宿の路地裏のBar Up to You が贈る ~1杯のお酒が紡ぐ、ちょっといい話~

Vol.6 「HACHI」 /北海ミチヲ。

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七江は、この古風な自分の名前がどうも昔から好きになれない。
最近ではテレビに出そうなほど珍しい7人兄妹の末っ子、父が東京に単身赴任していたときの子供で、父はよく、〝では、お江戸へちょっくら行ってくる〟が口癖だったらしく、七江とついたと聞いている。
 
一昨年の母の葬儀の直会の席で一番歳が近い姉が
「しかし、七江の名前は随分と簡単につけたものね?」
と話すのを聞いた一番上の兄が言った。
「母さんに聞いたことあるんだが、さすがに7人目はもう名前を考えるのも嫌だったらしいな。」
暗かった直会の席が少し沸いた。
 
1番上の兄はいつもそうなのだ。まるで私を目の敵にでもするように傷つくことを平気で話す。
まあ、18も年が離れていると、もはや兄というよりは、叔父のような存在に近い。
最近は、髪も随分真っ白になり、ますますそう見える。
七江は、我関せずの顔をして寿司桶の鮪の赤身をほおばった。
強がってみせていたが、母の葬儀で悲しみにくれているところへ追い打ちをかけられた。
雲が厚くどんよりとした、今にも雨になりそうな日だった。
 
 
生前の母は、そんな素振りを見せることもなく、むしろ七江のことを一番可愛がっているはずだと、自分自身は確信していたのだが、それが少しだけ揺らいだ。
 
 
父は、転勤が多い人だった。置き薬の会社に勤めていたという。全国各地への単身赴任が多く、子育ては母が一人でやっていたようなものだ。
自分の中の記憶では、家族はいつも母と6人の兄や姉たち。
たまに父が帰ってきていた。
でも、その時は、上の兄姉たちに父を独占され、自分のことを構ってもらった記憶が薄い。
2,3日だけいて、また父はいなくなった。
 
或る時から、父は帰ってこなくなった。
 
というのも赴任先で不慮の事故に遭い、帰らぬ人となったのだ。
七江が6歳の時だった。
だから七江には、父の父らしい記憶がない。
七江の中には、どこか常に男性に対する不十分な感覚があった。
 
七江は、去年四十路を迎えた。
世間ではアラフォーとか言うらしいが、あまり実感は無い。
大学時代の友人たちの中では、正直一番保存状態がいいと思っているし、そもそも独身であり、それと勝手気ままな暮らしているせいか、妙な疲労感やストラスらしいものがそもそもない。その時々で好きな仕事をやりながら、まずます充実している毎日だと自分では思っている。子育てをしている親友たちもいたが、最近はあまり連絡もとっていない。
 
大学の同窓会にも何度か行った。行けば放射線技師だの、設計事務所をやっているだの、上等なスーツに身をまとった男たちが色目線で何かと声をかけてくるが、この類を相手にしたことはない。
といいたいところだが、一度だけミスったと思っている男がいた。
 
大学時代に同じサークルにいた藤城という男だ。
少し高飛車で、女性に手が早く、それでいて一見スマートに見えるところが、なぜか好きだった。そんな藤城は、いつも違う女を連れていた。一度くらい、そのラインナップに加わってみたいという好奇心を持ちながらいたのだが、いつのまにか藤城は、外資系の会社に就職して海外勤務になってしまった。
 
あの同窓会でミスった日の翌朝、藤城が先にホテルの部屋を出た。
〝じゃあ、また今度。またね。〟といいながら、あの〝またね〟とはいったい、いつのことなのだと思いながら、あれから10年、いや20年近いか…とにかく時間が過ぎている。
 
七江は、なぜあんな昔のことを思いだしているのかな…とか思いつつ、
夕暮れの車窓に映りこむ自分の顔を見た。そして函館駅で買ってきたビールのプルトップを開けた。
 
〝プシュッ!〟
 
1両だけのディーゼルカー
丁度、車両の中間あたりのボックスシートに身を置いていた。
どんどん高さを上げながら高架線を走るレールの継ぎ目の音が心地よかった。
 
函館から乗った時は、そこそこの客がいたが、途中駅で、ひとり、またひとりと降りていった。
 
誰も乗ってこなかった。
 
だから、今は一人きり。
白熱灯が、自分の小さな影を作っていた。
 
思い出した。
 
なぜ藤城のことを思い出したかを。
 
さっきまで隣のボックス席の女子高校生らしい2人が、好きな先輩の話でキャッキャいいながら、膝の上に開いていた参考書もそのままに、夢中になって話していたのだ。
〝こういう時期あったわよ、私も。〟
とか思ったあたりからだ。
 
ひとりの旅は、不思議な思いが重なるようにめくるめくものだ。
頭の中に放浪者みたいなのがいて、今、考えていることの出発点すらわからなくなる。
 
 
七江は、勢いよくビールを喉に流し込んだ。
 
ディーゼルカーのエンジン音が唸り始めた。ここから先は、少し勾配が強くなるらしい。この先が、有名な大沼公園だ。道南屈指の観光地。昼間なら駒ヶ岳を向こうに大沼、小沼が広がる北海道らしい風景が見えたはずだ。
 
そういえば、大沼という男とも3年ほど付き合った。
結構、それこそ湖みたいな広い心に安らぎを覚えたものだ。
丸の内に本社のあるデベロッパーに勤める大沼は、自分をひとしきり抱いた後、ベッドの中でいつも関わっている大きなプロジェクトの話をとくとくと七江にした。
しかし、七江は、そんなビルだの開発だのという話には、あまり興味がわかず、後半は、その声を子守唄替わりにして寝入ったものだ。
一緒に暮らして1年目の夏、大沼が宮島へ出張したとき買ってきた〝 木しゃもじ 〟のしまい方のことが原因で七江がマンションを出ていくことになった。
些細なことだった。意外に小さな男だったのだと、サラッと忘れることにした。
 
秋の夕暮れのホーム、駅名標の「大沼」という文字に温かいライトが当たっていた。
シーズンオフのホームは、ひっそりとしていた。
 
函館本線はこの駅で二手に分かれる。乗り換え列車のアナウンスが入る。
距離は短いが駒ヶ岳を周回するように勾配がきつい山側の路線と
距離はあるが、緩やかな海側の路線。
ここで乗り換えをしようか、七江は迷ったが結局このままでいることにした。
 
七江は、35歳の時、わずか10日間に二人の男から偶然にも気持ちを伝えられるということがあった。
 
砂原と森という、同じ職場で同期入社の二人だった。
年齢は、七江よりも1つ下。
 
 
はじめて声を掛けられた時、七江は、それほど親しくもない男たちのアプローチにただただ驚くばかりだった
砂原は、思慮深く、穏やかな男で、森は、どちらかというと強引で力強くイケイケなタイプだ。
 
その後、森と砂原は、結果的に七江を獲り合うことになった。
 
七江は、そんな様子を少しだけ面白がりながら相手をしていた。
その様子は、まるで海獣の〝覇権争い〟のようにも見えた。当時七江は派遣社員だったので、ある意味で本当に〝派遣争い〟だったなと、ひとり、クスっと笑ってしまった。
車窓に映る、にやけ顔に、少しハッとした。
 
七江にすれば、多少、見える風景は違ったかも知れないが、正直どっちでもよかった。
結局、多少時期が重なりながら、森、そして砂原の順番で、2人とも付き合った。
 
森のプロポーズは、早かった。付き合い始めて3ヶ月目のことだった。
七江は、そのことを砂原に相談した。
砂原は、森の悪評を七江に話しながら、自分の気を引こうと頑張っていた。
 
でも、2人とも選ばないという選択をした。
森のプロポーズを断り、砂原ともいつのまにか終わった。
 
後にも先にも、あんな経験はない。
自分の中では、いわゆる人生MAXのモテ期かも知れないと思った。とはいえ、あれがMAXだと思うと少し残念な気持ちにもなる。
 
海と山、二手に分かれた線路は、このディーゼルカーの終着駅で1つになる。
そこは、海岸沿いにある小さな駅だった。
夜の町は静まり返っていて、灯がほとんどなかった。七江には、街が死んでいるようにさえ思えた。
 
暗闇に波の音だけが、少し聴こえていた。
 
七江は、今流にあさっりと検索に頼るのをあまり好まない。出会った人に聞いたり、少しペンキが剥げた案内板を見ながら、道標を探すのが好きだ。特に、旅はずっとそうしている。
 
駅員に聞くと、ここで上りの列車に乗り換えないと今夜中に函館には戻れないという。
もう少し遠くまで行けると思っていたが、七江の見当違いだったようだ。
砂原ならきっと思慮深く行程を組み、森なら、強引にもう少し先まで連れて行ってくれたかも知れない。
と、ホームのベンチに座りながらぼんやりと思った。
 
相変わらず、波の音だけが、背後の防波堤の暗い底から聞こえていた。
 
明日は、函館での母の七回忌と父の三十三回忌だ。
子供たちや親戚が集まる。
またあの兄や姉達に会うと思うと気が重かった。
 
せめてもの気晴らしにと、七江は、1日早く午後空路で函館入りし、この半日間の短い旅を思いついた。半日なんてあっという間に終わるんだと、久しぶりに自分の中に時を綴じこんだ旅だった。
 
乗ってきた同じディーゼルカーが、今度は、小さな海岸沿いの駅から、海回りで再び大沼を経由して函館に戻る。
 
 
そういえば、大沼に一度、手紙を出した。
理由は忘れてしまったが、当時結婚でもしたかったのだろうか?
彼からの返事はなかった。
そもそも届いているのだろうか、あの手紙。
差出人を名前だけにして住所を書かないで出した。
ああいう手紙は、どうなるんだろうか?
受取人か差出人が取りに来るまで郵便局の片隅のブルーの籠の中にひっそりと待っているのだろうか?
迷える恋文か…。
自分は、そもそも返事なんて期待していなかったんだと今になって再認識した。
 
窓を少しだけ開けてみた。
頭を冷やすような風が空いた窓の隙間から平べったく入ってきた。
 
大沼を出たディーゼルカーは、今度は来た時の高架線ではなく勾配のきつい線路を下っていくらしい。
暗闇でも、確かのその違いを感じ取ることができた。
左側の窓の向こうに函館湾の独特のカーブと、その奥に函館山が見えていた。
その裾野に灯が宝石のように薄く広がっていた。
いわゆる有名な夜景に対して、これを裏夜景というらしい。
恋人たちのデートスポットとしても人気なのだそうだ。
 
斜め左後ろのボックスシートには、客がひとり。
ビジネスマン風な几帳面そうな男だった。
スマホを覗きながら、何度も小さなため息が漏れていた。
 
「すいません」
突然、男が背後から声をかけてきた。
「はい?」
七江は、驚きながらも冷静に反応した。
 
「この先の新函館北斗駅から、まだ東京方面に戻れる新幹線があるかどうかってわかりますか?」
 
「はあ…、」
 
「ああ。いや、スマホの電池きれちゃいまして…」
 
七江は、延々と続いていた思考を一先ず停止させ、自分のスマホで素早く調べた。
 
「あー、無理そうですねー。」
 
「やっぱり、そうでしたか。」
男は、通路に立ったまま、深い落胆の表情を見せた。
 
「東京?ですか?」
七江は、そんな気の毒な男の表情を下から見上げながら、思わず自分からアクションを起こしてしまった。
 
「いえ、埼玉です。」
「???」と思った瞬間、七江の底から笑い声が聞こえてきた。
 
「埼玉、おかしいですか?」
 
「いえ、ごめんなさい。旅先で埼玉の人は、必ず東京です。って答えるって話を思い出したもので。ホント、失礼しました。」
 
「そういうことですか、いいんですよ、埼玉は埼玉ですからね。何も間違ってないですし。」
  
「失礼ですが、あなたは函館の方?」
  
「いいえ、高校まではいましたが、その後は東京。ほとんど帰ってこなかったので、街の中とかも随分と変わっちゃって、記憶も曖昧で。故郷とは思えないほどです。」
 
「なるほど。そうでしたか、私はゆっくり函館も寄らず帰る予定でした。大沼のホテルで打合せだったんですけどね、すっかり仕事が伸びてしまって・・・。」
 
「予定通りにいかないことってありますよ。そのホテルに泊まられれば良かったのに…」
 
「確かに!でも、全く考えつかなかったです。ああ、でも金曜の夜ですし、相手先にも悪いかなって。暇そうでしたけどね…まあ、根拠のない自信というのか、勝手に東京に戻れるはずと決めてました。だって新幹線ってそんな感じしませんか?」
 
「面白いこといいますね。」
七江は、少し開けていた窓を静かに閉めた。そして、男をさりげなく自分のボックスシートの斜め前の位置へ促した。
 
男は、大野といい、東京から日帰りで大沼への出張を命令されたのだが、飛行機が苦手で新幹線ならという条件でやってきたという。
そして、今夜は諦めて函館に泊まることにして、この週末は、初めての函館観光ということで割り切って、日曜の夜に今夜乗り損ねた最終の新幹線で帰ることにするという。
 
七江は、私は、明日の昼は法事があり、それはそれは気が重いこと。そして明日、土曜の最終便で帰る予定だと話した。
 
「七江さん、どこか函館で絶対に行くべき!とか何かないですか?」
 
「そういうのって、それこそググればいいじゃないですか、ご専門でしょ?」
 
「こういうのは、人の情報が一番なんですよ。僕はそれを信じてます。」
 
「もし、一軒だけご紹介するなら、私も行ったことがないのだけれど、十字街に隠れ家みたいなオーセンティックなバーがあるの。新宿の馴染みの店のバーテンダーさんに紹介されたんですよ。」
 
「いいですね、そういうの。東京の情報なのか、函館の情報なのか、わからないけど」
大野は、小さく微笑んだ。
 
「そこ、行かれてみてはどう?」
 
「では、どうでしょう?明日の夜、あなたが良ければ、そこで一杯ご馳走させてくださいよ。最終便まで。」
 
「まあ、気が向けばねー。」
七江は、わざとそっけなく返事をして、外を見た。
函館山の展望台とテレビ塔が、ぐっと近くなっていた。
 
「函館着きましたね。」
大野が、何か吹っ切れたように明るく自分のビジネスリュックを背負った。
 
「はい、行くときと違って、話しているとあっという間でした。」
七江も自分の小さなバックを肩にかけた。
 
「では、しばしのお別れです。明日バーで待ってますよー」
大野は、笑いながら一足先にディーゼルカーを飛び出していった。大野は、一刻も早く充電しないと大変なことになるかも知れないと言っていた。
 
 
 
翌日の函館の空は、秋の空が澄み渡った法事日和の天気だった。
墓石の前に、兄姉、少ない親族が並んだ。
一番近い姉が七江に向って口を開いた。
「しかし、なんで父さんと母さんの暮石は、一緒じゃないのかしらね?」
「さあ。」
七江は力ない返事をした。
「それよりさあ、七江はいつまでそんな放浪者みたいな生活してるのよ。早く結婚するとか、老人ホーム決めるとかしなさいよ。呑気に生きててムカつく位に羨ましいわ」
一番上の兄が、引き継いだ。
「そういえば、母さんは、8人目の子供を父さんと約束していたんだってな。〝 八重 〟って名前まで決めていたらしいな。俺も最近、正人おじさんから聞いたんだけどね。」
 
でも、結局、父と母のその思いは叶うことなかった。
 
兄が続けた。
「多分、母さんは、七江と合わせて、ふたりで〝 七重八重 〟にしたかったんじゃないかと思うんだよ。」
姉が受ける。
「花が沢山ありそうないい名前じゃない。ねえ、七江ちゃん!」
姉が小さく七江を小突いた。
 
七江は、もし、その妹がいたら、きっと私の人生はもっと違う風景だったかも知れない。そして自分の名前にもきちんと意味があったのかも知れないと、ほくそ笑んだ。
 
父と母の墓石が分かれているのは、晩年、〝家族や孫たちが沢山増えて、みんなでここのお墓に入ったら、1つの墓石だと窮屈でしょ?〟って、母はわざと墓石を分けたらしい。というのがもっぱらの話だが、七江はそうは思っていない。仕事とはいえ、ずーっと単身赴任で過ごした父への小さな怒りを母がぶつけたに違いないと七江は思っている。七江は、そんな母に親しみを覚えた。
 
 
 
その夜、七江は、十字街のバーを訪ねた。
大野は来ていなかった。
 
〝まあ、こんなもんよね、〟とか思いながら、大好きなジプシーを脇に置き、初老のバーテンダーと昨日の小さなひとり旅の話をした。
 
「あのコース、回ってきたんですね?きっといいことありますよ。」
 
「どうしてですか?」
 
「お客さん、知らないで行ってきたんですね。」
 
「はい」
 
「最近、8の字を描くパワールートだなんて言われてます。なんか縁起良さそうじゃないですか。あの線路。」
 
壁に掛かった北海道の地図に目を移した。
そして、改めて地図を見ると、確かにそういう路線図になっていた。
それを知っていたら、もう少し、いい妄想をしながら旅していたのに…と七江は少し悔やんだ。
 
次の瞬間、重い木製のドアが音をたてて開き、コツン、コツンと男物の革靴の音が店の中に響いた。
 
 

<Bar Up to You>
新宿西口、路地裏の雑居ビルの7Fに隠れ家のように佇んでいる小さなBar。

東京都新宿区西新宿1-4-5 西新宿オークビル7F
tel : 03-5322-1112

営業時間:17:00~25:00  定休日:日曜日

夜な夜な訪れるゲストたちと美味い一杯とバーテンダーとの程よい時間が静かに流れていく。

このブログは、毎月1つの酒をテーマに、当店のゲストの皆様方が、一編のストーリーを作り、投稿されているブログです。

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