Vol.5 「Depart again」 /清水 楓
「お待たせ。ごめんね、急に仕事入って」
「気にするなよ、いつもの事だろ」
「そうよね、いつもの事だよね」
笑顔を作ったが、玲はいつもの事と言われて少し落ち込んだ。
そう、毎回と言っていい程、翔との待ち合わせには遅れていた。
キャンセルになった事も一度や二度じゃない。
翔は優しい男だ。小言を言うわけでもなく
玲の事を理解してくれている。
そう思って甘えている所もあったが、さすがに気は引ける。
新宿から翔が住んでいる中央線沿線のとある駅へ。
帰り道にある小さな行きつけのレストランで、赤ワインとイタリアの家庭料理を味わう。
シェフはまだ若いのに腕は確かだ。
何を食べても何故かほっとする。
「来週の予定、大丈夫か?その時だけはちゃんと来いよ」
「分かってるよ、今から調整してるから大丈夫!のはず…」
「おいおい」
と翔は笑った。
3杯目のワインを飲み終える頃に翔が少し改まって言った。
「前に話したけどあの話、本決まりになったよ。このタイミングでって思うよな。でも期間は1年って決まってるし帰って来てから式はやるって事でいいよな?」
「そっか。あたしは大丈夫だよ。式場も決まってるし、一人でも進められることは地道に準備進めとくよ。来週の打ち合わせは二人で行けるの最初で最後だから絶対に遅れない」
「頼むよ」
「その日は気配消しておくわ。それに翔がいない間も悪さはしないで大人しく待ってまーす」
「なんだよ、投げやりだな」
「そんな事ないよ。離れる前にちゃんと私達の明るい未来を約束してくれてるんだもん、何の不満もありません」
玲は少しちゃかして笑った。
翔は1年間、現場の管理指導者としてマレーシアへ行く事になっている。
正直、1年なんてあっという間だと思っている。仕事も忙しいし、式の準備にもなかなか時間が取れそうもないし、そのくらいの長いスパンで見ないと本番で疲れ果ててゲッソリしている気がした。
目の下の黒い花嫁なんて最低だ。
それにマレーシアならそれほど遠くもない。何度かは行けるはずだ。
そう思うと少しは楽になった。
どうしよ。約束の時間はとうに過ぎている。
職場を出ようとした時に呼び出された。
玲は小児科の医師だ。
急変した患者がいて、処置に追われた。
幸い安定してやっと一息つき、我に帰りスマホを手にすると、翔からのメッセージは10件。着信は15件。
慌てて、ごめん、すぐ向かうとメッセージを入れ病院を飛び出した。
時間帯を考えるとタクシーより電車の方が早そうだ。
人をかき分け走るが新調したヒールが煩わしい。
2時間遅れて新宿の高層ホテルのロビーに駆け込む。辺りを見回すと、座り心地の良さそうなソファーに翔は座っていた。
「翔!本当にごめん!急変した子がいて」
「ああ。仕方ないよな。玲に落ち度はない」
「こんな日に。ごめんなさい」
「分かってるよ。分かってる。でもさ…」
翔は話すのを止めて下を向いた。
言いたい事は嫌と言うほど分かる。
何を言われても謝ることしか出来ない。
しかし翔はその事に関しては何も言わずに
「今日は帰るよ。送れなくてごめん」
とだけ残し、1人ロビーを出ていった。
怒ってない訳がないのに。
来週からマレーシア行くんだよね。
二人で最低限の事は決めたかったよね。
もう時間も取れないし。
自分が悪い。無理やり断って他の医師に頼めば良かった。
いや、そんな事出来ない。
出来る筈もない。
あの子の命と自分の結婚式、重さは明確だ。比べる方がおかしな話だ。
でも。人の心にも限界はある。
攻めることなく帰っていった翔の気持ちを考えると居たたまれなくなった。
玲は肌寒くなった街を歩き、このまま翔には会えない様なざわめきを感じ涙が溢れた。
気付くと行きつけのbarのドアの前にいた。
「こんばんわ」
「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ」
ミドリさんは玲を一目見てカウンターの端へ通してくれた。他のお客様からは見えにくい。
「ミドリさん、私ちょっと失敗しちゃった。色々考えると眠れそうにないな」
「それならピッタリのカクテル作りますね。きっとよく眠れると思います」
程なくカウンターに置かれたグラスの中は黄金色だった。
キレイと呟き、一口飲むと全身の力が抜けて行く様だった。
「彼とね、もう会えないかも」
「会えなくていいんですか?」
「わからないな。今はわからない」
「それなら、しばらくの間距離を置いてみるとか?」
「え?」
「少し離れて考えてみるときっとわかりますよ。大事かそうじゃないか、どうしたらずっと大切に想いあえるか」
「なんだか全部見てたみたい」
「出会ってお付き合いして想い合っても他人ですよ、100のうち100ともピッタリ!なんてあり得ない。いつも一緒だと、どこか甘えたりこのままでいいって勘違いするんじゃないですか?」
「そうだね。幸か不幸か来週から1年間離ればなれになるの。多分彼は私に会わずに行く。でもしばらくして私の答えが出たら話し合ってみる」
「それがいいかと思います。そのジプシーに使っているリキュールは薬用酒なんです。体にも心にも色んな効果があるかも知れませんよ」
ミドリさんはそう言って笑顔を見せた。
玲はしばしの別れのあとでまたスタート出来る事を願いながらジプシーを飲み干した。
<Bar Up to You>
新宿西口、路地裏の雑居ビルの7Fに隠れ家のように佇んでいる小さなBar。
東京都新宿区西新宿1-4-5 西新宿オークビル7F
tel : 03-5322-1112
営業時間:17:00~25:00 定休日:日曜日
夜な夜な訪れるゲストたちと美味い一杯とバーテンダーとの程よい時間が静かに流れていく。
このブログは、毎月1つの酒をテーマに、当店のゲストの皆様方が、一編のストーリーを作り、投稿されているブログです。
当店のHPはこちら! http://www.up-2you.jp/index.html